というのは、昔読んだ桑田圭祐さんの著作。

 

樋口了一ゴールデンベスト。

 

手紙や、のぞみ、といった最新の作品をのぞく全時代を網羅した20年の足跡。

 

正直に言って日本のポップスは、ほとんど知らなかった。

 

21の時の夢がグラミー賞。

 

目は完全に海外に向いていた。

 

組んでいたバンドのライブも、歌詞は決まってなく、いつもそのばそのばのエモーションを、fkbdっbん898う5んギッヒbいpふぃえr958y-m7、、、と切り取って叫んでいた。

 

そこに、三宅さん。樋口君、歌詞。歌詞が、全てだ。メロディーは湯水のように出るだろう?。歌詞は、乾いた雑巾を絞るようだろ?。絞りにしぼってやっと一滴垂れた雫を、少しづつ集めて行くんだよ。

 

怖じ気づいた。

 

方法論は一人一人違うだろう。全く逆のアプローチでライムを紡ぐひともいる。でも、僕にとって三宅さんの言葉が、何故か胸に刻まれた。

 

初期の作品は、松井五郎さんの詩もあるけれど、途中からは歌詞は基本的に自分で書いていたので、僕のしぼった乾いた雑巾からの雫が詰まっているベストって言い方も出来る。

 

歌詞が主役で、旋律が脇役なんて考えられなかった。

 

伝えたいものは音楽そのもの。音楽を何かを伝えるためのツールに貶めたくなかった。

 

そうかたくなに思い込んでいた初期。歌詞と、メロディーが立ち向かっている。

 

ステージの上で、素晴らしいパフォーマンスが出来るように普段は口もきかない漫才コンビみたいに。

 

互いに一歩も譲らない。

 

いまでも。「ま」で音が上がる。しゃべり言葉でかんがえれば、「い」にアクセントが普通だ。ま、が上がると、「居間でも」と言う意味が立ち上がり始める。

 

この辺、微妙だけど、僕はメロディーを変えることはしなかった。それがよかったのかどうかわからない。

 

今ならば、色んなアプローチをしたかもしれないけれど、それをかたくなに拒んでごり押しして来た足跡が、可愛くもあり、いまに生きている気もする。結局その、言葉に一歩も譲らず対峙しているメロディーが好きだ。

 

いまはもう乾いた雑巾はボロボロにすり切れて、自分の中のソングライティング博物館に陳列されてる感じで、実用に供することは少なくなったかもしれない。

 

振り返れば、歌詞というものに全く価値を見いだしていなかった僕に、それが担うべき役割に、強烈に心を向けさせてくれた時期だったんだと思う。

 

そして、歌の旋律というものは、言葉をよりよく伝えようと進んで脇役に回った瞬間、言葉と相まって、言葉以上の輝きを放ち始めるんだって言うことを、学ぶことになる、「手紙」の言葉との出会いへ至る準備期間だったんだということも

 

知る由もなかった30代。

 

そして、40代にさしかかり、命の実相を知り、堰を切ったように歌詞に意味を求め始めた。

 

伝われ伝われと、祈るように歌うことが当たり前になった。

 

それに呼応するように、パーキンソン病がやって来て、歌声、技術に制限がかかった。

 

いま、やれることに、集中する必要に迫られた。

 

もし、歌詞に対して自分が昔のままのアプローチと、価値観しか見いだせていなかったら、

 

不自由になって行くスキルとしての自分の歌に

 

何の未来も魅力も感じられなかったかもしれない。

 

歌うことから降りてしまったかもしれない。

 

でも、僕はいまも歌っている。

 

どんなに変わろうと、歌おうとするだろう。

 

伝えるべき何かがそこにある限り

 

それが、役割と信じて。

 

誤解でも、

 

死ぬまでやれば

 

本懐なり。

 

今日の一曲

ファイト 中島みゆき