あいかわらず、日々が通り過ぎるのが早い。

さあて、そろそろ日記デモ行進するかあ。

この変換いいな。

・・・・日記でも更新するかあ、とパソコンに向かったら、ナ、ナント奥さん!!一ヶ月以上時が過ぎていたんですよ!!

もはや日記と呼んではいけないな。

月記と呼ぼう。

おととい、別府で南こうせつさんのコンサートに飛び入りした。

こうせつさんとは、もう4,5回ご一緒させてもらってる。

「樋口君、ちょっと小耳にはさんだんだけど、君、病気だって?」

と、こうせつさんらしく、率直に、聞いてくれた。

「そうなんですよ」

と、ぼくも、世間話のノリで返す。

「本番で、そのことについて話してもいいの?」

「もちろんですよ、お願いします。」

で、コンサートが始まってから、1時間ぐらいしてから、飛び入りゲストとしてステージへ。

ステージへ、熊本銘菓陣太鼓と、くまもんのビーチサンダルをお土産として携え、ステージに上がった。

笑いを取っているところへ、いきなり病気の話をするのも気がひけたが、こうせつさんは、そんなことでぶれる人じゃない。

パーキンソン病という、ぼくの口から発せられた言葉に、一瞬会場の空気が固まる。

「で、どうなの?だいじょうぶなの?」

と、こうせつさん。

「だいじょうぶですよ。」

「歌えんの?」

「もちろんですよ、そのために来たんですから。」

ここまで完全に世間話のトーン。

「どこまでできるかはわかりませんが、与えられただけ、ずっと音楽を、歌を続けていきます。」

会場の皆さんの、温かい拍手。

うれしいね。

会場に詰め掛けたお客さんへ、手紙をとどけさせてもらった。

そのあと、こうせつさんは明豊高校、ぼくは別府中央小学校という、別府の学校の校歌を作っていたので、それぞれ披露させてもらった。

コンサートが終わり、楽屋にとある、ご夫婦が訪ねてこられた。

ご主人に連れられて見えた、奥様と思しきその方は、少しだけおからだが不自由に見えた。

「私も、樋口さんと同じ病気で、もう15年にもなります。今日、こうせつさんのコンサートに来たら、樋口さんが私とおんなじ病気だってステージでおっしゃってくれたので、ぜひお会いできたらとお願いしてみたんです。」

「そうですか・・・」

「私は、カラオケが趣味で、毎年発表会に出るのを楽しみにしてきたんですけど、年々声が出なくなって、今年はもう無理だとあきらめていたんです。でも、今日樋口さんが同じ病気でそれでもずっと歌うんだって言っているのを聞いて、私もやめないことにしました。私に力をくれたことにどうしてもお礼が言いたくて、来させていただきました。」

「・・・こちらこそ、ありがとうございます。」

このようなエネルギーは、どちらか一方から、一方へだけ流れるものではない。

この方が、このような気持ちで訪ねてくれたことが、これから先の自分にとってどれだけの道を開いてくれたかわからない。

4月に放送されたドキュメンタリーで、ぼくは自らの病気のことを、公表した。

周りの近しい人たちは、心配し、力付の言葉をかけてくれた。

もちろんそれは嬉しかったし、ありがたかった。

でも、だから、それで、どうだっていうんだろう?

病気のことを発表して、これから自分はどう動いていけばいいのだろうかと、少し立ち止まっていた。

その、答えの一つみたいなものに、少しだけ、出会わせてもらえたような気がした。

楽屋を訪ねてくれた奥様は、発症して15年目。まだまだ初期症状のぼくより進行している。薬の量も全然多い。

体のつらさも、比べ物にならないだろう。

それでも、新参者のぼくの言葉に希望を見出してくれた。

そしてその気持ちが僕を勇気づけた。

思いは作用と反作用。一方通行はありえない。

与えたものをもらい。もらったものを与える。

そうか、このやり取りを、自然な形でやっていけばいいんだ。と、腑に落ちた。

新しい役割。「樋口君今日から、整理整頓係もやってください。」

というかんじで。

正直、音楽をやっていて、今は気持ちいいというより、格闘している感が強い。

無意識でやれていたことを、頑張って意識してやんないと、言うことを聞いてくれない。

空を飛べていたころと比べると、障害物競争をしてるかんじ。

このままじゃ、音楽=苦痛 という条件反射が生まれてしまうんじゃないかと心配していた。

でももし僕のこの格闘が、無駄じゃないんだって、信じることができたら。

それは、一段上の気持ちよさにつながっていけるんじゃないかって、

そう思った。

こうせつさん、そんな機会を作ってくれて。

ありがとうございました!!

今日の一曲
うちのお父さん 南こうせつ