前回の日記を読まれてから、逆に心配が増した方がいらっしゃるかもしれないという思いから、珍しく更新ラッシュでいきます。

 

現在の僕の病気の進行度は、ヤール1というカテゴリーに入ります。

 

初期の症状が、体の片側にだけ表れている状態です。薬の効きもよく、
日常生活にほとんど支障はありません。

 

ちょっと細かくなりますが、事の経緯を書いていきます。

 

ずっと僕のライブをご覧になってきた方は、数年前…正確に言うと、2008年の初頭あたりから、いつも歌いながら弾いていたギターを弾かなくなったことに気が付かれていたと思います。

 

実は、弾かなくなったんではなく、弾けなくなったんです。

 

歌いながらギターを弾いていると、右側の肩甲骨の周辺が何とも言えない倦怠感に襲われ、

どうしても手が止まってしまう。

 

最初の兆候があったのは、2007年の3月あたりでした。

 

パソコンのキーボードが右手でうまく打てない。

 

俺も歳だなって、肩こりとかが原因だろうと、近所の整体に行ったり、整形外科に行ったりしていました。

 

ところがなかなか改善しない。

 

それどころか、歩く時にだんだん右足が前に出にくくなってきました。

 

様々な、整体、鍼、整形外科、かみ合わせ、神経内科、等々14か所ぐらいの病院に通っても原因がわからない。

 

こうなったら、自分で調べようと決心して、自分の症状を克明に観察し、自分なりの結論にたどり着いたうえで、その病気かどうかを調べてもらうピンポイントの検査を受けることにしました。

 

そして2009年の3月に結果が出ました。

 

とある総合病院の神経内科で、心筋シンチグラムという特殊な検査を受けた結果、明らかな異常値が出ました。

 

パーキンソン病。という診断が下りました。

 

僕のにらんだとおりでした。

 

この病気は、初期において、中々病名が確定しないのです。

 

脳神経の変性疾患なんですが、症状の方は体に出るだけで、脳血流を調べても、MRIを撮っても、異常が見つからないのが通常なんです。

 

それに加えて、僕の症状は、右側の手足が動かしにくい、硬直するといった症状はあるものの、パーキンソン病に特有な手の震えというのが一切なかったというのが原因を突き止めにくい理由の一つになっていたと思います。

 

病名を医師の方に言われた時の気持ちは、自己診断が当たっていたこともあって「やっとわかった。」という、奇妙な安堵感でした。

 

得体のしれない相手がようやく姿を現してくれたという感じでした。

 

世間では、少しづつ「手紙」が話題になり始め、テレビやラジオ雑誌への露出が増え始めていたころでした。

 

僕としては、手がうまく動かせない以上、サポートのギタリストに任せて、自分は歌に専念しよう。この歌は特に全神経を集中しないと伝えられないものでもあるし、ギターを弾くことはあきらめよう、すっぱり切り変えて取り組んでいこうと思い、そこから先のステージでは一切ギターを弾かなくなりました。

 

つくづく、自分は歌うことがメインの仕事でよかったと思いました。

 

2009年の半ばぐらいまでは、そのスタイルで難なくやっていくことができました。

 

ところがねえ、そううまくもいかないんですねえ。

 

パーキンソン病というのは、脳内の黒質という部位の神経細胞が減少し、脳内伝達物質のドーパミンを作らなくなることによって生じる体の不具合なんですが、筋肉の固縮というのがその症状の大きなものの一つです。

 

声帯、及びそれを支える筋肉ももちろん例外ではありません。

 

2009年の半ばを過ぎたあたりから、今度はこえが出にくくなってきてしまいました。

 

大声で張ったりするところは、大丈夫なんですが、手紙の歌い出しのような、ソフトに繊細に表現しなくてはならない部分、言ってみれば僕の歌の中で最も重要な部分からやられて行きました。

 

思い返せば、2009年下半期の始まるあたりから、年末のレコード大賞までぐらいが一番しんどかったかもしれません。

 

当時は、薬を飲んでいなかったので、固まった筋肉を和らげる術がなかったからです。

 

今思い出すと、思わず笑ってしまいますが、レコード大賞、有線大賞の本番前、必死で体をほぐそうと、テレビ局の非常階段や、会場の外の歩道を汗だくになって走り回っていました。

 

体育の後の音楽の授業、声出たよなあって思い出して。その記憶をよりどころにして。

 

あの、年末の生放送の綱渡りは、なかなかスリリングだったよなあ。倉橋君。

 

今日の一枚

Can‘t buy a thrill  Steely Dan