先日、大分のアルメイダ病院と言うところで、第143回目のポストマンライブをやらせてもらった。

 

緩和ケア病棟、、いわゆるホスピスの入院患者さん、ご家族、看護師さん、ボランティアの方々へ。

 

大分での我々の仲間、釘宮くんの発案で。

 

彼のお母様が、1年前最期の時をこの病院で過ごされた。

 

その時はお見舞いにいくだけで、できなかったポストマンライブをやりたいと、彼が強く思ってくれたことで実現した。

 

ホスピスに届けさせてもらうのは、3度目。一度目も大分だった。ゆふみ病院。そのころはまだポストマンライブという名前すらついていなかった。

 

命の希望の歌を届けるライフワーク。

 

その気持ちに気負いはなく、迷うこともなくなった。

 

でも、肉体の終焉という命の節目を迎え、それを受け入れようとされている人たちへ、この希望を、僕ごときがリアリティーを持って届けられるのか。3度目の今回もやる前にひるんだ瞬間があった。

 

自分の気持ちの葛藤を悟られまいとすると、ついつい言葉に、歌に余計な力が入ってしまう。

 

今回それを克服するのが僕のテーマだった。

 

自分がなんとかしなきゃとか、自分こそがやってやるんだとか、そんなモチベーションは全部捨てる。

 

そして、まかせきる。なんに?

 

そりゃ決まってる。自分を生かしてくれている法則に。人によっては神様ともいう。どっちだっていい。

 

あとは、、、そう、あれ?

 

言う前からスタンばってくれてるw

 

ベックさん、みたらいのご主人、釘宮くんのお母さん、ゆふみ病院のあのかた、、、梅木会長

 

おおぜい。

 

、、、おやじも。

 

何にも心配いらない。僕が伝えようとしてるのは、あなた方がまだ消え去ってはいないってことです。

 

そうやって笑ってくれてれば、力む必要もない。

 

一曲目 How

 

久しぶり。キーを一音下げて、歌詞を置いていくように歌った。

 

この曲を書いた意味が、初めて心に沁み渡った。

 

どうやって信じろって言うんだろう 僕に終りがあると この世界中 命の歌が鳴り止まないのに

 

今日は、マーサが一曲目からいない、、、避難した模様、、。泣き虫DJ。感情移入の天才。

 

ご高齢の方の中に、40代ぐらいの患者さんもチラホラといらっしゃる。

 

命は、永遠に続いてゆく。これまで何度口にしただろう。

 

患者さんの多くが、そんなこと僕がわざわざ言わなくても、もう知ってるよって顔をしているように見えた。

 

余計なものがはがれ落ちて、心の真ん中にあるものが輝きを放ち始める。

 

肉体が衰えるのと相反するように、生き生きと。

 

瞬きの間に過ぎていったこの生を悔やむ曇りはあらず

 

紡いだ歌詞一つ一つが、自分の心に突きつけられる。

 

言葉を伝えるというのは、何かを信じるということ。何かを信じるということは、背負い切るということ。

 

背負い切るとは引き受けて責任を取るってことだ。

 

信じるって決して受け身なものではない。知識や証拠がある一定量を越えたから、はい、自動的に信じます、、という時は来ない。

 

いくら万人のように知ったところで、その魂の芯に信じるという灯を点すことはできない。

 

自分の理性を総動員して、できる限りの高さに積み上げたケルンのいちばんてっぺんに置く石は、

 

目の前の患者さんたちが、心に生き生きと輝かせている、無言のインスピレーション。

 

それが、歌っている僕の周りを取り囲み、優しく心にはいってくる。

 

与えた以上、何倍もの贈り物。

 

そして手紙。

 

旅立ちの前の準備をしている私に祝福の祈りを捧げて欲しい

 

この言葉をこころから、100%純粋な気持ちで言える人はいないだろう。

 

ライブをやる前から、入院されている40代の男性患者さんが、恋人の女性と人前結婚式を挙げたという話を伺っていた。

 

病室にお邪魔する。

 

僕がMCで紹介した、「シルバーバーチの霊訓」について、詳しいことを教えて欲しいと訊きに来てくれた女性がベッドの脇にいた。

 

ベッドには、新郎が横たわっていた。笑顔で挨拶を交わす。

 

こういうときにどんな言葉を交わすべきか知っていますか?ぼくはしりません。

 

取り繕ったり、その場をなんとかやり過ごそうと思って出た言葉は、1秒1秒を慈しむように過ごす2人の前では、砂でできた枯れ葉のようです。

 

前向きで、明るい笑顔の絶えない新婦と、少しシャイで優しそうな新郎。

 

結婚式の写真を見せてもらった。

 

ベッドに横たわったまま、タキーシードを来て戸惑い顔のだんなさんと、うれしそうに微笑む花嫁衣装の奥さん。

 

この人生で、2人はこのように出会いこのように別れるということを知っていたのだろうか。

 

それを知っているのなら、この別れは永遠ではないということも、すぐに再会の時が来やってくるということも、知っていらっしゃるはずだ。

 

前しか見ていない2人の間に流れる空気が、その場に居合わせた人たちへ向けて、前向きに生きるエネルギーを放っていた。

 

気休めの言葉は言いたくない。ただ、僕が知っていることを伝えたい。信じていること、責任の取れる言葉を。

 

この時ほどそう強く思ったことはなかった。

 

命は永遠。言葉にするのは簡単だけど。

 

信じて、そのことを前提に生きるってことは、覚悟がいる。

 

2人の素敵な新婚カップルを前にして、そう思った。

 

不思議なことでも、特別なことでも、ないのです。

 

必ずまた、

 

逢える日が

 

くる。

 

今日の一曲 Starting over  John&Yoko