永遠飯

レコーディングははずせないとして、

 

もう一つあるとすれば、

 

ユニットを立ち上げたってことかしら。「エンドレスライス」。

 

っていっても、勝手にそう呼んでるだけですが。

 

私のラジオ番組「帰ってきた夢旅人」をお聴きの皆さんには、テンちゃん という名前で、浸透してしまいましたが(ゴメン)、

 

♪せきす~いはうす~ でおなじみの、村上ゆきさん。

 

彼女と、ハモると、何故か、声が出る。

 

ギターも弾ける。

 

ってことがわかって、よくリハをやるようになって、

 

せっかくレパートリーが増えたからって言うんで、

 

7月のキーブ、そして飯塚の彼女のプライベートライブ、んで、この間の原宿でのゲスト出演と、共演が続きました。

 

あの、細い身体で、安定した懐の深いピアノプレイと、気がついたらそばで飛んでま~す的な、ソフトと思わせといて、実は中心部分に固いダイヤのようなエネルギーを内包した不思議な声が、ある種のホルミシス効果を産むんだろうか。

 

彼女の声を聴いて癒される聴き手の皆さんと同じように、ともに共演していながら、柔らかく叱咤激励されているような、

 

これは、もしかして、彼女の声がもっと世界に響き渡れば、世の中平和になるんじゃないのか、

 

ってぐらいまで思った。

 

もちろん癒されてばっかりじゃ、だめですので、私もがんばります。

 

「手紙」を、転調を交えながら、2つの旋律が対峙するような形でハモッたときに、あの年老いた親からのメッセージが、誰か一個人のプライベートなメッセージから、もっと普遍的な、命の実相に迫るメッセージのように聴こえてきた。

 

力を込めずとも、悲しい事ではないんだ、ほんとうに。ってすとんと腑に落ちる。

 

命に対しての考え方は、40代でコペルニクス的に反転した僕とは違い、彼女は物心ついたときから、それを知っていた。

 

忘れずに産まれてきたといった方がいいのか。

 

考えてみれば、エンドレスライス、一文字変えれば、「エンドレスライフ」

 

偶然ですが、全然そんな気で付けたんじゃあないだけにびっくり。この名前の由来を聞きたい人は是非ライブへ。

 

彼女の妹のバイオリニストの村上ふみさんが、「え?エンドレス来世?」と聴き間違えた。

 

つらいなあそりゃ。何度も何度も。

 

永遠ならば、100%ハッピーエンド。

 

そんなことが、音楽を通じて伝えられたらいいいなあ(どんなことやねん)と思ってるところが一致してる。かもしれません。

 

どこかでまた出没します。

 

永遠飯。

 

今日の一曲

Falling Slowly

アルバム

アルバムを作っていました。

 

先日、ミックスが終わり、曲が出そろいました。

 

全く以て、書き下ろしの、新曲あり、ライブでしかやったことのない曲、他の方に書いた曲が、巡り巡って自分に戻って来たもの、様々なラインナップとなりました。

 

今回、久しぶりに、バンドのなかで歌う楽しみを感じながら取った曲が何曲かあります。

 

声が変わって、細字ペンで繊細にたどっていく歌から、太字というか、毛筆というか、墨のかすれた部分を、持ち味に表現していこうと考えたとき、バンドのなかで歌うことが、昔よりも楽しくなった。

 

前回の よろこびのうた のうた入れは、ほんとに難儀だった。

 

この、教訓を生かして、今回の歌入れは徹底してあることを心がけた。

 

名付けて、ラジオ体操REC

 

午前中の早い時間から、歌入れを開始するってだけのことなんですが。

 

普通ね、歌入れって言うのは、声が寝起きの状態から完全に脱する午後一はじまりなことが多いんです。

 

僕もそうだった。

 

けど、一日の遅い時間になればなるほど、声が、というよりも身体全体が閉じていく、というのか、オヤスミモードになっていくんですな。

 

で、何しろ、閉店する前に、開店と同時に突入して、必要なもの買い込んでしまおうって訳です。

 

これ、スタッフも、最初は、ええ~~って感じなモードだったのですが、

 

数日たつうちに、「いいな、このシフト。まだ、5時かああ。」

 

そのあとの作業が、はかどるし、いいことずくめ。

 

肝心の歌も、いいテイクがとれた。

 

アーティストの皆さんいかがですか?

 

 

今日の一曲

朝日のあたる家

半年

あいかわらず、日々が通り過ぎるのが早い。

さあて、そろそろ日記デモ行進するかあ。

この変換いいな。

・・・・日記でも更新するかあ、とパソコンに向かったら、ナ、ナント奥さん!!一ヶ月以上時が過ぎていたんですよ!!

もはや日記と呼んではいけないな。

月記と呼ぼう。

おととい、別府で南こうせつさんのコンサートに飛び入りした。

こうせつさんとは、もう4,5回ご一緒させてもらってる。

「樋口君、ちょっと小耳にはさんだんだけど、君、病気だって?」

と、こうせつさんらしく、率直に、聞いてくれた。

「そうなんですよ」

と、ぼくも、世間話のノリで返す。

「本番で、そのことについて話してもいいの?」

「もちろんですよ、お願いします。」

で、コンサートが始まってから、1時間ぐらいしてから、飛び入りゲストとしてステージへ。

ステージへ、熊本銘菓陣太鼓と、くまもんのビーチサンダルをお土産として携え、ステージに上がった。

笑いを取っているところへ、いきなり病気の話をするのも気がひけたが、こうせつさんは、そんなことでぶれる人じゃない。

パーキンソン病という、ぼくの口から発せられた言葉に、一瞬会場の空気が固まる。

「で、どうなの?だいじょうぶなの?」

と、こうせつさん。

「だいじょうぶですよ。」

「歌えんの?」

「もちろんですよ、そのために来たんですから。」

ここまで完全に世間話のトーン。

「どこまでできるかはわかりませんが、与えられただけ、ずっと音楽を、歌を続けていきます。」

会場の皆さんの、温かい拍手。

うれしいね。

会場に詰め掛けたお客さんへ、手紙をとどけさせてもらった。

そのあと、こうせつさんは明豊高校、ぼくは別府中央小学校という、別府の学校の校歌を作っていたので、それぞれ披露させてもらった。

コンサートが終わり、楽屋にとある、ご夫婦が訪ねてこられた。

ご主人に連れられて見えた、奥様と思しきその方は、少しだけおからだが不自由に見えた。

「私も、樋口さんと同じ病気で、もう15年にもなります。今日、こうせつさんのコンサートに来たら、樋口さんが私とおんなじ病気だってステージでおっしゃってくれたので、ぜひお会いできたらとお願いしてみたんです。」

「そうですか・・・」

「私は、カラオケが趣味で、毎年発表会に出るのを楽しみにしてきたんですけど、年々声が出なくなって、今年はもう無理だとあきらめていたんです。でも、今日樋口さんが同じ病気でそれでもずっと歌うんだって言っているのを聞いて、私もやめないことにしました。私に力をくれたことにどうしてもお礼が言いたくて、来させていただきました。」

「・・・こちらこそ、ありがとうございます。」

このようなエネルギーは、どちらか一方から、一方へだけ流れるものではない。

この方が、このような気持ちで訪ねてくれたことが、これから先の自分にとってどれだけの道を開いてくれたかわからない。

4月に放送されたドキュメンタリーで、ぼくは自らの病気のことを、公表した。

周りの近しい人たちは、心配し、力付の言葉をかけてくれた。

もちろんそれは嬉しかったし、ありがたかった。

でも、だから、それで、どうだっていうんだろう?

病気のことを発表して、これから自分はどう動いていけばいいのだろうかと、少し立ち止まっていた。

その、答えの一つみたいなものに、少しだけ、出会わせてもらえたような気がした。

楽屋を訪ねてくれた奥様は、発症して15年目。まだまだ初期症状のぼくより進行している。薬の量も全然多い。

体のつらさも、比べ物にならないだろう。

それでも、新参者のぼくの言葉に希望を見出してくれた。

そしてその気持ちが僕を勇気づけた。

思いは作用と反作用。一方通行はありえない。

与えたものをもらい。もらったものを与える。

そうか、このやり取りを、自然な形でやっていけばいいんだ。と、腑に落ちた。

新しい役割。「樋口君今日から、整理整頓係もやってください。」

というかんじで。

正直、音楽をやっていて、今は気持ちいいというより、格闘している感が強い。

無意識でやれていたことを、頑張って意識してやんないと、言うことを聞いてくれない。

空を飛べていたころと比べると、障害物競争をしてるかんじ。

このままじゃ、音楽=苦痛 という条件反射が生まれてしまうんじゃないかと心配していた。

でももし僕のこの格闘が、無駄じゃないんだって、信じることができたら。

それは、一段上の気持ちよさにつながっていけるんじゃないかって、

そう思った。

こうせつさん、そんな機会を作ってくれて。

ありがとうございました!!

今日の一曲
うちのお父さん 南こうせつ

綱渡り歌手

前回の日記を読まれてから、逆に心配が増した方がいらっしゃるかもしれないという思いから、珍しく更新ラッシュでいきます。

 

現在の僕の病気の進行度は、ヤール1というカテゴリーに入ります。

 

初期の症状が、体の片側にだけ表れている状態です。薬の効きもよく、
日常生活にほとんど支障はありません。

 

ちょっと細かくなりますが、事の経緯を書いていきます。

 

ずっと僕のライブをご覧になってきた方は、数年前…正確に言うと、2008年の初頭あたりから、いつも歌いながら弾いていたギターを弾かなくなったことに気が付かれていたと思います。

 

実は、弾かなくなったんではなく、弾けなくなったんです。

 

歌いながらギターを弾いていると、右側の肩甲骨の周辺が何とも言えない倦怠感に襲われ、

どうしても手が止まってしまう。

 

最初の兆候があったのは、2007年の3月あたりでした。

 

パソコンのキーボードが右手でうまく打てない。

 

俺も歳だなって、肩こりとかが原因だろうと、近所の整体に行ったり、整形外科に行ったりしていました。

 

ところがなかなか改善しない。

 

それどころか、歩く時にだんだん右足が前に出にくくなってきました。

 

様々な、整体、鍼、整形外科、かみ合わせ、神経内科、等々14か所ぐらいの病院に通っても原因がわからない。

 

こうなったら、自分で調べようと決心して、自分の症状を克明に観察し、自分なりの結論にたどり着いたうえで、その病気かどうかを調べてもらうピンポイントの検査を受けることにしました。

 

そして2009年の3月に結果が出ました。

 

とある総合病院の神経内科で、心筋シンチグラムという特殊な検査を受けた結果、明らかな異常値が出ました。

 

パーキンソン病。という診断が下りました。

 

僕のにらんだとおりでした。

 

この病気は、初期において、中々病名が確定しないのです。

 

脳神経の変性疾患なんですが、症状の方は体に出るだけで、脳血流を調べても、MRIを撮っても、異常が見つからないのが通常なんです。

 

それに加えて、僕の症状は、右側の手足が動かしにくい、硬直するといった症状はあるものの、パーキンソン病に特有な手の震えというのが一切なかったというのが原因を突き止めにくい理由の一つになっていたと思います。

 

病名を医師の方に言われた時の気持ちは、自己診断が当たっていたこともあって「やっとわかった。」という、奇妙な安堵感でした。

 

得体のしれない相手がようやく姿を現してくれたという感じでした。

 

世間では、少しづつ「手紙」が話題になり始め、テレビやラジオ雑誌への露出が増え始めていたころでした。

 

僕としては、手がうまく動かせない以上、サポートのギタリストに任せて、自分は歌に専念しよう。この歌は特に全神経を集中しないと伝えられないものでもあるし、ギターを弾くことはあきらめよう、すっぱり切り変えて取り組んでいこうと思い、そこから先のステージでは一切ギターを弾かなくなりました。

 

つくづく、自分は歌うことがメインの仕事でよかったと思いました。

 

2009年の半ばぐらいまでは、そのスタイルで難なくやっていくことができました。

 

ところがねえ、そううまくもいかないんですねえ。

 

パーキンソン病というのは、脳内の黒質という部位の神経細胞が減少し、脳内伝達物質のドーパミンを作らなくなることによって生じる体の不具合なんですが、筋肉の固縮というのがその症状の大きなものの一つです。

 

声帯、及びそれを支える筋肉ももちろん例外ではありません。

 

2009年の半ばを過ぎたあたりから、今度はこえが出にくくなってきてしまいました。

 

大声で張ったりするところは、大丈夫なんですが、手紙の歌い出しのような、ソフトに繊細に表現しなくてはならない部分、言ってみれば僕の歌の中で最も重要な部分からやられて行きました。

 

思い返せば、2009年下半期の始まるあたりから、年末のレコード大賞までぐらいが一番しんどかったかもしれません。

 

当時は、薬を飲んでいなかったので、固まった筋肉を和らげる術がなかったからです。

 

今思い出すと、思わず笑ってしまいますが、レコード大賞、有線大賞の本番前、必死で体をほぐそうと、テレビ局の非常階段や、会場の外の歩道を汗だくになって走り回っていました。

 

体育の後の音楽の授業、声出たよなあって思い出して。その記憶をよりどころにして。

 

あの、年末の生放送の綱渡りは、なかなかスリリングだったよなあ。倉橋君。

 

今日の一枚

Can‘t buy a thrill  Steely Dan

よきいちにちいきよ

この日記を読まれている方は、今日のNHKの番組をご覧になった方でしょうか?

 

そうじゃなくたまたまって方もいらっしゃるかもしれませんが、とりあえず番組をご覧になったとしたうえで話を進めていきます。

 

とはいえ、僕もこの日記を書いている時点では、まだ番組を見ていないのですが、ずっと密着取材を受けていたので、どの部分を使ったのかわからないまでも、大体の中身はわかります。

 

最初この番組の企画が持ち上がった時、ディレクターの新里君としては、「手紙」を今もなお届け続けている一人のアーティストの姿を追いかけたいというシンプルな動機が主たるものだったんだと思います。

 

話を進めていくうちに、密着取材をするうえで、どうしても避けて通れない事実があることを彼に伝えました。

 

僕の身体のことです。

 

番組の中でも伝えましたが、実は、今現在僕は、パーキンソン病に罹患しています。

 

病名が確定したのは、2009年の3月でした。

 

現在のおもな症状としては、右半身の固縮、右手足の動かしにくさ、精神症状を含めた全身の倦怠感、歌う時の声の出にくさ、などです。

 

2009年といえば、「手紙」が、少しづつ、世の中に広がり始め、テレビやラジオへの露出が増え始めた頃です。

 

公表をここまで控えてきたのにはいくつか理由があります。

 

一つは、完全にこの病気であるとの確信が持てなかったこと。

 

もう一つは、僕の個人的な事情で、「手紙」の言葉のメッセージに変な話題性を持たせたくなかったということです。

 

これから、回を追って事の経緯を詳しく書いていこうと思っています。

今まで、声のコンディションを巡って、いろいろな心配をしてくださったファンのみなさん方。

 

ご心配おかけしました。

 

ごめんなさいね。

 

そして、ありがとう。

 

ただ、僕はいままで皆さんに対して、こう歌って来ました。

 

「世界中を僕らの涙で埋め尽くして、やりきれないこんな思いが今日の雨を降らせても。新しいこの朝がいつものように始まる。そんなふうに、そんなふうに、僕は生きたいんだ。生きていきたいんだ。」

 

この言葉のメッセージが、嘘じゃないんだってことを今度は僕自身が証明してみせる時がやって来たんだと思っています。

 

引き続き、音楽を。

 

届け続けます!!

 

よろしくおねがいします。

 

今日の一曲

1/6の夢旅人2002

あっちゅうまの4月

年々、一年が過ぎるのがあっという間だと言っておりますが、

この4月の過ぎ行くスピードは、今までのベスト3に入るでしょう。

何がそうさせたのか。

レコーディングと、密着取材。ですね。

実はもう、情報でておりますが、4月の30日18時10分に、NHKさんのホリデードキュメンタリーという枠で、私の密着取材の記録が放送されます。

制作はNHK熊本ですが、全国放送です。

元々3年前の暮れ、熊本の五木村からの生中継で手紙を歌ったときのディレクターだった新里君が、僕が熊本に帰ったことを聞きつけ、世間話をしに仕事場に現れたところから、はじまった話です。

撮影は、3月の女川のポストマンライブからでした。

4月の頭から本格的にはじまり、約20日間にわたり、ずっと取材していただきました。

カメラが回っていることが気にならなくなる程、長い間被写体になったのははじめてのことです。

動物園の檻の中の動物の気持ちが少しわかったような気がします。

ああ、また人間みてら・・・

みたいな。

この20日の間に僕はいろんな方々に会いました。

懐かしい人たち、初めての人たち、いつもの人たち。

様々な人たちが、僕とカメラの前で、赤裸々に自らを語ってくれています。

それに応える、って言うわけでもないんですが・・

足掛け4年目になるポストマンライブ。

この間の大分の介護施設で、118回目が終わりました。

本当に、北は知床から、南は鹿児島まで、いろんなところに届けて行きました。

その過程で、出会う方達は、自分たちの置かれた状況や、身体のことを僕にさらけ出してくれました。

それに対して、自分がちょっと高いところからご託宣を垂れるみたいなことには決してしたくなかったのですが、結果として僕自身は何も自分のことを語ることもないままに、活動を続けていることに、「フェアじゃないのかもしれない」と、思うようになりました。

「フェアじゃない』って、なんに対してなのか?そもそもこの言葉が適切なのかもわかりませんが、

何か、自分のことを語る時期なんじゃないかって思うようになったんです。

それで、今回番組の中で、自分のプライベートなことをかなり語っています。

今はまだ、言いませんが。

是非とも、番組をごらん下さい。

その後、この日記でも詳しく書きたいと思います。

今日の一曲
Don’t stand so close to me.  Police

女川

3月1日の宮古北高校に続いて、東北に行って来ました。

ちょっと前になるんですが、3月18日、女川復幸祭。

津波の被災を免れた、高台にある体育館で行われました。

僕は、113回目のポストマンライブとして。

藤村氏、嬉野氏とともに。

訪れた印象は、藤村さんの日記にほとんど同意です。

正直で、率直で、愛情たっぷりのあの文章はリアルに感動しました。

僕は、今回の地震に対して、ずっと、スローレスポンダーだと言って来ましたが、両氏も同じ気持ちだったみたいです。

自分たちの果たせる役割考えると、今からだろう。

そんなところで、一致したわけなんですが。

作り出した曲は、作ったやつの優柔不断な煮え切らない態度とは裏腹に、速攻だったそうです。

現地に前のりした僕らは、被災地に点在するコンテナ居酒屋で、食事をごちそうになった。そこで、いろんな話を聞いた。

津波に襲われ、避難所に集まって、灯りがまったくない、真っ暗闇の中、ポケットにあったipod。

その日から1/6の夢旅人2002を毎日聴いていたと、言ってくれた方。

どうでしょうファンが何故か多い、女川。

地震当日、真っ暗闇の避難所の初日の夜、今回の主催者の1人高政さんが言い放った。

「ようし、ここをキャンプ地とする!!」

避難所の中の半分ぐらいの人が笑った。

あり得ない現実に見舞われた時に、どうでしょうの創りだした「笑い」が、こんな役割を果たしていたのだ。

その話を聞いて、僕は「ライフイズビューティフル」という映画を思い出していた。

第二次大戦中、ナチスの収容所に入れられた、ユダヤ人の父と息子。

父は、息子を怖がらせないために、ありとあらゆる手を使って、これは全てゲームだ、だから楽しみなさい、と教える。

息子は、お父さんの言うことを信じて、最後まで、ゲームの障害をクリアーするつもりで目の前の現実を楽しそうに乗り切ってゆく。

現実ではあり得ないことかもしれない。

でも、少なくとも、「ここをキャンプ地とする」というバラエティー番組の一言が、一瞬でもその場の真っ暗闇を明るく照らしたことは事実だ。

復幸祭当日、午前中に時間を作っていただいて、ポストマンライブをやらせてもらった。

「手紙」という曲は、年老いてゆく親から子へ宛てたメッセージだ。

こんな、甚大な被害をもたらした場所でこの曲を歌うことがどんな意味を持つのだろうか。場違いではなかろうか。

この地でポストマンライブをやるにあたってずっと考えていた。

送り手の僕からのメッセージは一貫している。

「命に終わりはない.永遠に続いて行く。」

年老いた親は、終焉を迎えているのではない。

次なるスタートの準備をしているのだ。

このメッセージならば、この場所に送っても、場違いではない。

被災で犠牲になられた方々は、絶対にいなくなったりはしていない。

「絆」は、地上の人たちとしっかりとつながったままだ。

それだけは、強く伝えたいと思った。

シュウコウ堂さんというCDショップが、即売に入っていた。

地元の古くからのレコード屋さん。

今回の津波で、店は全て流された。

テイチクの営業の方の働きかけで、即売をやることになり、実に1年と7日ぶりの営業再開となった。

「サインでも、手形でも、足形でも、歯形でも、何でも付けるから、きみたち、買いなさい。」と、MCで言った。

普段は冗談でも言わない言葉だ。

応えてくれた大勢のお客さんたち、ありがとう。

手紙が、広い体育館の高い天井に響き渡る。

いつもより、多くのパワーが背中を押してくれているのを感じる。

目に映らない、多くの思いが、空間に満ちていくのがわかる。

僕は、今ここにいる人と、そして、去って行った人の間に立って、言葉を伝えているような気持ちになった。

大丈夫。また会える。

そんな声が聞こえたような気がした。

午後の部分で、どうでしょう班と、1/6を大合唱することになっていたので、ここはやめておこうかなとも思った。

でも、お客さんの顔を見ているうちに、そんな出し惜しみをしている場合じゃないなって気がした。

1/6のゆめたびびとおおおお!!

2012!!!

この曲を作って10年。今年2012年。これから長く続く、復興の元年だ。

この曲を歌っていて、こんなに多くの涙を見たのははじめてだった。

高政さんはじめ、現地で今まで引っ張ってきた人たちが、

この1/6の夢旅人2002を、心の支えにしてくれていた。

すげーなお前。たいしたもんだ。いつものように、曲に話しかける。

歌い手が感じる、自分が無くなる瞬間。

歌を届ける、通路になる瞬間。

最高に幸せな瞬間だ。

女川の皆さん

ありがとう

ひきつづき

やってきます

必ず

P.S 夜の打ち上げで、再び1/6大合唱した。藤やん、、、歌ウマ!!あの声でシャウト。
意外。失礼か。

今日の一曲
1/6の夢旅人2012 藤村忠寿

いろいろがめまぐるしい日々

リリースもあって、先月今月と頻繁に東京行ったり来たりです。

東北ポストマンもようやく始動致しました。宮古北高校。2011年、3月1日からまるちょうど一年たって、同じ卒業式の予行演習の体育館にお邪魔させていただきました。

校長先生のお話をうかがうと、地震から一年経つこの時期ぐらいから、精神的に不安感が増したりする生徒が多いとおっしゃってました。

状況が落ち着くって言うことは、今まで見えてこなかった心の傷が目立ち始めるって言うことなのかもしれない。

スローレスポンダーである自分が、なんかの役に立てるとしたら、ここからかもしれないなと、ね。

なんとなくそう思ったんですよ、奥さん。(嬉野)

幼稚園の時に、外集合って言われて、いつも一番最後に出てってた。

ばあちゃんが病院で亡くなったとき、みんな病室で泣いてるのに1人きょとんとして、そのあと落ち着いてから、待合室でみんな話なんかしてる時に1人で泣いてた。

何故かいつもワンテンポ、遅い。

そのかわり、決めたら早いです。しつこいです。

次は、女川で、藤やんと合流だ。

今日の一曲
Slow dancer    Boz  Scaggs

4周

今日の午後2時をもちまして、48になりました。

たくさんのお祝いメッセージ、ツイッターに、メールに、携帯にありがとうございました。

歌でお返ししていきますけんまっとってください

朝、仕事場に向かう途中車でFM聴いてたら、

「2月2日は、横井さんがグアムから飛行機で日本に帰ってきた日ですね。」

とDJの方が言っている。

へえええええ。そうなんだ・・・、と昔を回想していたら、

「あと、シンガーソングライターの樋口了一の誕生日です。」

車内で突然名前を呼ばれて、「はい!!」と、出席とられてる小学生のように返事をしてしまった。

ああ、びっくりした。

今日の熊本は、昼の吹雪がすごかった。

水族館の回遊魚の群れのように、ぐるんぐるんしていた。

おふくろから電話。

「あたが生まれた日も、こがん雪の降りよったね。」

生まれは、雨じゃなくて、雪男だったみたい。

明日は、朝マイナス6度らしい。

みなさんかぜひかんごっしてはいよ。

年男雪男の樋口了一でした。

今日の一曲
When I ‘m 64    Beatles

電脳復帰

年末年始恒例の、電脳網拒否症が、今年も終わりそうです。

なぜなんでしょうかね。わかりません。

なんにもしてなかったわけではありません。

キーブでのライブがありました。

「のぞみ」って言う曲作りました。

久しぶりに、三宅さんと仕事しました。

この曲は、ポストマンライブから生まれたと言ってもいいかもしれません。

人の親になってからというもの、このような詞の「テーマ」が、自然とやってきてくれます。

手紙同様、どんな時でも、命の価値を信じられるかどうか、試されるようなテーマです。

そのうちやりますね。

あと、来月22日には、CDが発売になるんです!!

今年の頭に、三浦半島の観音崎でジャケットの撮影したんですよ。

寒さに耐えること、数時間。

いい写真が撮れました。

含めてお楽しみに。

瓶につめたメッセージを、海に流すような

そんなイメージです。

ブラジルまで、届いてくれるといいなと

思います。

今日の一曲
Message In A Bottle    The  Police

八千代座が笑ってた

八千代座の舞台に立ったのは、25日なので、もう3日も前ですが、終わったと同時に「ああ、乗り切った・・・」と気が抜けて、そのまま昨日まで、熱出して寝込んでしまいました。

 

 まあ、おかげで、いい休養させてもらいました。

 

100年の歴史ある舞台の上は、凛としていて、同時に人懐っこく優しかったです。

 

ステージの前の席がみんな升席で、やや傾斜のついた畳のゆったりとした空間に、お客さんが、リラックスして座り、温かい拍手を送って下さる。

 

明治のころから繰り返されてきた風景なのだろうなあと、天井を見上げると、その当時のままの広告が、再現復刻されて、

 

レトロな広告アートの美術館みたい。

 

私の他の出演者の方は、地元山鹿出身の珠木美甫さん。

 

おばあさまの代からの3代で、この八千代座の舞台を踏んでいらっしゃる。お客さんの空気を一番つかんでいらして、

 

余裕の熱唱のステージでした。

 

今回僕のライブの時に、「手紙」をデュエットしていただきました。この曲のデュエットは初めての体験で、素敵なクリスマスの手紙になりました。なんか、この曲の場合デュエットじゃなくて「輪読」みたいな気分になってしまうのが不思議です。

 

そして、私の高校の先輩でもある、常田富士男さん。

 

昔話の世界から抜け出してこられたような千代じいが、八千代座の100年を語ってゆくお芝居。楽屋で声だけ聴いていると、どうしてもあの懐かしい昔話の世界に引き込まれていってしまいます。

 

ご両者とも見ごたえのある素晴らしいステージでした。

 

私のステージも何とか終わり、最後の新曲のお披露目フィナーレを待つばかりとなり、リハーサル部屋で高校生たちと最後の音合わせをした。

 

みんな、しっかり歌えてる。大丈夫だ。頑張っていこう。

 

今回、時間もなかった中、吹奏楽部の先生が、2部合唱にアレンジを施していただいた。

 

僕としても、1~2カ月の短い間だったけど、他の仕事をしながら、いつもこの歌のことが頭にあった。

 

頭に山鹿の風景が浮かんでいた。

 

関わった時間の長さより、一瞬の深さみたいなものが、この町への愛着を僕の心に植え付けてくれた。

 

ご当地の歌って言うのは、地元の人がどう受け止めてくれるかっていうのがとても気になるところ。

 

適当に、観光名所をちりばめて、お茶を濁したりしたら、そこに生まれ育った人たちはすぐに見抜いてしまうだろう。

 

山鹿で生きてきた人の目線で作る。可能な限り。

 

今回そこに一番こだわった。

 

本番の幕が開いた。

 

緊張感の中、合唱部の先生の奏でるピアノがすべりだし、忠ちゃんのギターが重なる。

 

なーんだ、ぜんぜんだいじょうぶだ。

 

八千代座全体が優しく笑っていた。

 

なんて優しい舞台なんだろう。

 

高校生たちも、市長さんを含めた、出演者の皆さんも、自由にのびやかに歌ってくれてる。

 

愛してもらえそうだね。よかったね。

 

リフレインのサビを歌いながら、曲に話しかけた。

 

曲の途中からいつの間にか、客席に花びらが舞い始めていた。

 

実行委員の方々の演出だ。昔ながらの舞台の仕掛けを使って、手作業でやってくれている。

 

無事に曲が終わった。熱い拍手を受けながら、幕が閉じる。

 

100年前の、鳴りやまぬ拍手を送った人々、それを受けた演者に思いをはせる。

 

総合プロデューサーの西沢と、抱き合った。

 

高校の同級生。やんちゃで、あさはかで、どうしょうもなかった互いの高校時代。人間って変われるもんだなあ。こんなところでおまえとハグするとは思いもしなかったよ。

 

高校生たちも、顔がほっこりしてる。

 

ああ、

 

よかった!!

 

関係者の皆さん、ご苦労様でした。

 

これからの100年へ。

 

一歩!!

 

今日の一曲

YA・MA・GA ~この町の未来になろう~

キーブ!!

東京から帰ってきました!!

イヤー久しぶりに渋谷行って、あまりの人の多さに、「祭りけ?」

と、みこしを探した19の春を、繰り返しそうになりました。

7thフロアー、来て下さった方、配信をご覧になった方、ありがとうございました。

なんだろね?あの空気。

あの場所でしか出ない、バックザランな株主爽快。

ザックバランな・・・総会

双方向に咆哮しましたね。

楽しかったですねい。

途中、出演くださった内田麟太郎さん。

淡々として温かな朗読をありがとうございました。

そして、

晴海に続いて、共演して下さった村上ゆきさん。

ありがとうございました。

クリスマスライブがんばって下さい。

http://www.murakamiyuki.com/

で、ですね。

あしたですね、

くまもとのですね、

キーブでですね、

あっとですよ。

おっがライブがですたい。

〜ですねを多用する熊本人。

明日は、21時30分よりの一回きりですので、多少長めにやります。

今年最後の熊本定期ライブです。

是非ご来場を。

おまちしております。

http://cib-co.jp/liveschedules/detail/2147/

今日の一曲
一ミリのキセキ 村上ゆき

写真は一郎作。おちばかめん。

7th

明後日から、東京行きます。

12月18日、7th floor定例から、21日、キーブ、25日八千代座まで、熊本と東京でライブが続きます。

先ず最初の、7th floorからですが、

本当に、久しぶりです!!

第2期樋口了一の時代を支えてくれた、ハコです。2002年からたった一人ではじめて、今年で、10年。

色んなことがあったここで、今回は多くのゲストに出ていただきます。

内田麟太郎さん。

大分以来の、共演です。

絵本の世界と音楽のコラボレーション。

僕は、あの淡々として、温かな朗読が聴けるのが個人的にとっても楽しみです。

そして、村上ゆきさん。

最近、よく見るようになったなあ積水ハウスのCM。

歌ってらっしゃる方ですよ。

こちらも大分の別府、晴海で初共演して以来です。

僕としても、声が響きあえる久しぶりに出会ったヴォーカリストです。

個性あふれるお二人のアーティストを是非見に来て下さい。

日時:12月18日(日) 17:00open 18:00start場所:渋谷“7thFLOOR”http://7th-floor.net/住所:渋谷区円山町2-3 O-WESTビル7F   TEL 03-3462-4466料金:¥3,500(1ドリンク込)
今年最後の定例Live、皆で盛り上がりましょう!!
ご予約はContactから。お名前、メールアドレス、コメント欄に人数とリクエストやメッセージをご記入の上、送信して下さい。折り返し確認メールを送らせて頂きます。
基本は、いつものメンバー、忠ちゃんと、岡本さんの3人です。ギターピアノ歌。トリオ。

お楽しみに!!

今日の一冊
内田さんの新作
ブリキ男よしあわせに

 

YAMAGA

と、大文字表記すると、YAZAWAみたいですね。

突然ですが、山鹿の歌を作ることになりました。

といっても他県の方はわからないかもしれませんが、

山鹿燈籠と言えばお分かりでしょう。

毎年8月のお盆の頃に、1000人で燈籠を頭に載せて輪になって踊るあれですよ。

幻想的で、壮大な。

実は、見たことなかとです。

でも、地元の皆さんからお話をうかがっていたら、もう見て体験したかのようなマインドになりまして。

朝花の時と同じで、想像が無限に広がって。

いいモチベーションが保てております。

元々が、商人と職人の街山鹿は、熊本市内とは違った独特の文化がある。

一言で言えば心意気。

今度の100周年イベントの舞台八千代座という歌舞伎小屋。

八千代座

ここも、昭和の中頃には、廃墟同然になっていたそうで、40代ぐらいの地元の方にとっては、お化け屋敷で、肝試しに使ってたらしい。

それが、「瓦一枚運動」と言う、一人瓦一枚分一枚ずつでも、負担して復興させようと、1人の方が呼びかけて、

坂東玉三郎さんなどの尽力もあり、

見事に、復活したそうなんです。

実際に行ってみたんですが。

一言、かっこいい!!

明治の面影そのまま。

「千と千尋の神隠し」、の湯屋が目の前に現れた感じ。

圧倒的な存在感。

なかも、当時のままの桟敷席がそのまま使われている。

タイムスリップ。

舞台のには回り舞台の仕掛けがあり、裏から階段を下りていくと、所謂「奈落』にいける。

今も、大人4人でごりごりっと回す構造になっている。すごい迫力。

で、今回も地元の高校生にふるさとに対する思いみたいなものを聞かせてもらうことにした。

口数の少ないシャイな彼らに少しずつ聞いていくと、

「内の家の周りには、コンビニが一軒もない。山と田んぼと、川しかない。そういうところが一番好きです。」

こんな感じの意見が多い。実に。

自分が高校生の頃を考える。

出て行きたくてしょうがなかった。東京に。別にふるさとが嫌いだったわけではないけれど。

そして、ふるさとに対して本当の意味での感謝とか、良さみたいなものに気がついたのは、28年も経ってからだった。

彼らはすでに、そんな気持ちを持てているんだなあ。

幸せなことだよなあそれって。

こんなに情報が氾濫して、都会の誘惑が僕らの頃以上にあるのにね。

でも、そうだからこそ、却って自分の足元を大切に思うのかもしれない。

華やかな祭りと、復興の心意気と、故郷への静かで揺るぎない愛。

この3本柱で、作っていきます。

見に来られる方、お楽しみに。

僕も楽しみです。

(写真は、山鹿の名勝「不動岩ふどうがん」)

でっかい!!

今日の一曲
博多っ子純情 チューリップ

ひっかいておとだせ

近頃、よく音楽を聴くようになった。

ここ10年ぐらい、本当、音楽聴いてなかった。

聴いてなかったというのは、仕事を離れてって言う意味です。

熊本に引っ越してから、何故かレコード熱に火がついた。

昔から、CDの音よりも、豊かで落ち着くなあってなんとなく思っていたのが、エスカレートしていった。


すると、いい針が欲しくなった。

いい針が手に入ると、いいアンプが欲しくなった。

いいアンプが手に入ると、いいスピーカーが欲しくなる。

いいスピーカーが手に入ると、もっといい針が欲しくなる・・・最初に戻る。


かくして、人はオーディオ地獄へと引きずり込まれる。

私も、MC型のカートリッジを手に入れて、昇圧トランスにまで、手が伸びた段階で、まてまてまてと、ストッパーがかかった。

それぐらいにしておきなさい。と、内なる声が聞こえた。

はい。


スピーカーはもう20年近く同じものを使っていたので、無理して新品を買った。

アンプは、1981年物の、SANSUI AU-D907F Extra。

当時の発売価格、17万超。

オークションで、1万とんで500円。

もちろん、そこかしこに、不具合がある。

届いたその日に分解。

基盤洗浄、接点復活。スイッチ修理。


カビ、汚れ、メッキ磨き。


ガリもなくなり、温かく、懐の深い、アナログな音を響かせてくれた。


音は、空気の振動、波である。

その振動を、振動のまま、塩化ビニールの盤に刻み込む。

そして、今度はダイヤモンドの針で、振動として拾い上げ、電気信号に変換し、増幅し、スピーカーへと橋渡す。

アナログとは、連続した情報だ。1センチの半分の半分の半分の半分の・・・・・・この世界のありふれた日常に横たわる、ミクロの無限を内包している。

もちろん、情報伝達の間に、劣化する。

でも、それは、意図的なものではなく、自然な、凸凹のとりこぼしだ。



一方、僕らの日常のほとんどを占める、デジタル情報。

振動であるはずの音を、ある時点で、0と、1の2進法のレシピに移し替える。


どんなに細かく分けようとも、0、と1との間には、隙間がj生じる。

それは、意図を持った、等間隔の省略だ。ここからさきは、意識で認識できないのでいりませんよねって言う合意に基づく。

それは、劣化じゃない。

変容。組み替え。と呼ぶべきものだろう。



きっと、感性は意識の外側にまでしっかりと広がっているのだろう。

わからないだろうと思っていた、0と、1の間の隙間を、僕らは感じている。


でなきゃ、このレコードの気持ちよさ、説明できない。

ようやく地面に足が着いたような。

きれいに整地された、都市計画地域から、故郷の山道に帰ってきたような。


この夏レコードで聴いたものを上げると。

モーツァルト、タンジェリンドリーム、ピンクフロイド、イエス、トト、荒井由美、バルトーク、ジョルジュ・リゲティ、2001年宇宙の旅、中島みゆき、プロコフィエフ、ヨハンシュトラウス、さだまさし、キングクリムゾン、ジェネシス、イーグルス、ワイセンベルクのショパン、イツァーク・パールマンのパガニーニ、大滝詠一、エクソシスト、ラヴェル、スクリャービン、ダークダックス、グールドのブラームス、チューリップ、ドナルドフェイゲン、佐野元春、オーリアンズ、バートバカラック、メンデルスゾーン、ホルスト、エドムンドロス楽団、パピヨン、大貫妙子、クイーン、エルトンジョン、コダーイ無伴奏チェロ、バッハ、ベートーベン、シューマン、キャンディーズ、ピンクレディ、ウルトラセブン、レベッカ、井上陽水、アンドレカンドレ、オフコース、ラフマニノフ、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、アート・ブレイキーのアフリカンビート・・・


ここ十年の間に乾ききった心の水瓶に、必死で地下水を貯めるように。


クラシックが増えたなあ。黒人もの減ったなあ。


さてと、デモテープつうくろっと。

パソコン立ち上げて、と、パフォーマー立ち上げてっと。

おいっ!!

おもいっきし、デジタルまみれじゃん。


今日の一曲
第3病棟 さだまさし

ブラジル映画祭

角さんから、来たメールです。

 シッコシャビエルの、自動書記によるメッセージです。

「我らの住処」という、これも自動書記によって書かれた小説(というかドキュメント)が映画化され、日本での上映が決定しました。

 この世を去ったばかりの所謂普通の人が、どんな状況におかれるのかが、リアルに語られています。

 興味のある方は、是非とも!!

-------<光のメール>VOL.277------[2011.9.25]------
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<微笑み>
どこにいようが、どこへ行こうが、
あなたの魂から贈られる微笑みを絶やさないように。
微笑みは悪を無力化する働きであり、
発音されない祈りのようなもので、
闇の拡大を阻止します。
微笑みを通じて希望をより広く植え付け、
陰に落ちた涙を乾かし、
光をとり戻すことができるのです。
家の中では信頼の暖炉の中にともる、平和の祝福です。
職場においては、協力を促す静かなメロディーです。
社会において、それは同情を呼ぶことになります。
困難に対して微笑めば、
困難はあなたの人生における救済となります。
あなたの目に涙の雨を降らす雲であっても、
その雲に向かって微笑めば、
その涙は天からの慰安となり、
あなたの心を豊かにしてくれるでしょう。
あなたの運命を追いかける
様々な苦しみに対して、
途方に暮れて救済を求めるのではなく、
愛に満ちた微笑みを求めてください。
痛々しい道のりを進むための
新たな力を求めるのです。
もし誰かがあなたに助けを求めるのであれば、
何よりも優しい微笑みと理解を与え、
隠れた傷を癒やしてあげてください。
暴力や犯罪によっておごる人たちを
非難するのではなく、寛大な兄弟愛の微笑みを与え、
継続的に助けを届けてください。そうすれば、
彼らは改まり、善の道のりへともどってくるでしょう。
いつも働き、学び、助け合い、
愛し合いながら微笑んでください。
微笑みは慈善から毎朝もたらされる夜露であり、
天に昇る新しい日は、神の微笑みなのです。

Meimei / Francisco Candido Xavier
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ブラジル映画「この世の先に」が上映されます。
人生は一度ではなく、魂は永遠に進歩して行く
ことを伝える他界した医師アンドレの物語です。

詳しくは:
http://2011.cinemabrasil.info/
ぜひご覧ください。
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Say good-bye to Tokyo

月16日の池袋での追い出しライブ来ていただいた方、どうもありがとうございました。

熊本に移り住んで3ヶ月、もう追い出しって気分でもないよなあと思っていたのにもかかわらず、まだ、俺は追い出されていなかったんだ、と、この日のライブが終わった後、強く感じました。

それぐらい、東京での28年間が走馬灯したライブでした。

出てくれた多くのゲストの皆さん、あんがとね。

立教の軽音の仲間に囲まれて、セッションした時は、ホントに時がキューッと逆回転したような気持ちになりました。

おじゃ丸。店を休んで、駆けつけてくれた。「冬の稲妻」と、衰えないエネルギッシュな歌をありがとう。また店行くから。
http://cafebunmei.exblog.jp/i3/

宮坂。当日に突然呼び出したのにもかかわらず快く引き受けて、サックス持ってきてくれた。

やすお。田中康夫のものまねを一年の新歓コンパでやって以来この呼び名。裕之っていう立派な名前があんのに。

同学年のピアノ、やすおに関しては、まったく知らなかっただけに、ホントに驚いた。

数年前、本当に瀕死の事故にあって、意識が戻ることことまずあり得ないって言われていて、そこから生還してから、ピアノを弾く姿を見ていなかったので、それも相まって、ステージの上が、夢みたいにふわふわした。

曲は「ニューヨークの想い」。

下積み時代のビリージョエルが、ロスの酒場でピアノの弾き語りをしていた頃、生まれ故郷のニューヨークへの郷愁を、綴った歌。

「僕の心はもうすでにニューヨークにあるんだ。」

偶然だったけど、主旨にぴったし。

バカなことっから順番にやっていたあの学生時代の血が蘇ってきた。

それから、日本フィルのカルテット。

田村さん、大貫さん、中川さん、久保さん。

お忙しい所本当にありがとうございました。

アンコールで、急に倉橋君が登場して、「ここからしばし100回目のポストマンライブとなります」と宣言。

それで、出てきてくれた4人。

朝花と、手紙を、ぶっつけで、演奏してくれた。

これは、見に来てくれたお客さんにとって最高のプレゼントになったんじゃないでしょうか。

テレビなんかで見る弦とのセッションよりも、しっかりとその包み込むような存在感を感じていただけたんじゃないでしょうか。

僕も、背中に和音の風を受けながら、夢見心地で。

その他、会場には、定例常連組の皆さん、初めての皆さん、昔世話になった方々、まるで、ホセ戦のジョーの試合の観客席みたいでした。

書ききれないので、

最後に、アンコールでやったこれまたビリージョエルの「さよならハリウッド」の日本語替え歌の歌詞を載っけて、感謝の言葉に代えさせていただきます。

何度でもいいます。

みんな本当にありがとう。

今日の一曲
Say Goog-bye To Tokyo


引っ越しの準備をしてたら 見つけた 古びた学生証
19歳の春 初めて憶えた通りは 目白通り

Say Good-bye to Tokyo
Say Good-bye my baby
Say Good-bye to Tokyo
Say Good-bye my 練馬

世話んなった人たちに迷惑ばっかかけてた20代
夜中の池袋で叫んだ「桃、桃はいかがっすか~」

Say Good-bye to Tokyo
Say Good-bye my baby
Say Good-bye to Tokyo
Say Good-bye my 300B

夢が仕事になったからって 物語は終わらない まだ続いてる
愛する誰かの夢輝かせてゆくのが これからの僕の夢

まわるまわるよ地球は泣きたくなるような時も
そんな思いを歌にしたら君が笑ってくれた 

Say Good-bye to Tokyo
Say Good-bye my baby
Say Good-bye to Tokyo
またくんね 桜上水

夢が仕事になったからって 物語は終わらない まだ続いてる
ここにいるみんなの夢輝かせてゆくのが これからの僕の夢

羽田に向かうレインボーブリッジの上 振り向けば摩天楼
愛着なんてないと思ってた景色に やさしく抱かれた 

Say Good-bye to Tokyo
Say Good-bye my memories
Say Good-bye to Tokyo
ARIGATO! Tokyo
 

水源音楽祭

昨日、熊本の菊池にある、きくちふるさと水源交流館という、農村地帯の中学校跡地を修復して作られたNPO施設で、音楽祭イベントに出てきました。


http://www.suigen.org/page0125.html


職員の松崎君は、1/6の夢旅人のプロモーションビデオ撮影の時のカメラマンだった人。

いまは、朝の連続テレビ小説の舞台そっくりのこの水源村で、日々創意工夫の仕事をこなしている。

出演者は、地元の中学生ダンスチーム GROWACT, 中学生シンガーソングライター れーなさん、

私、そして、ひさしぶり~


進藤久明君。


http://hisaakishindo.blog48.fc2.com/


10数年ぶりの再会。

東芝時代のEMI所属の先輩、現在熊本南阿蘇在住。

ついこの間、1600キロ走破の、東北支援の旅から帰ってきたばかり。詳しくはブログを。

その日、僕のサポートしてくれた、渕野コージーパウエルさんも、大分から大量のギターを積んで車で、東北の学校の軽音楽部へ、届けてきたばかり。

九州人も、遠く離れた東北へ赴いている。

渕野さんの話も、進藤君の話も、現地に立って、作業に携わって、避難所の人と触れ合ってなければ絶対に知り得ない、感じ得ない、であろう、具体的で、実際的で、生々しく、うそのない、ものばかりでした。

息の長い支援とは何か。思いやるということが日常化するというところまでぼくたちが行き着くには、どうすればいいのか。

進藤君は、自分も含めたそこに居合わせた出身地もバラバラな他人同士によって、瞬く間にフォーメーションが出来上がり、適材適所に、具体的な作業が始まってゆくのを目の当たりにして、日本人の以心伝心のDNAを強く感じたと言っていた。

そして、歌、が必要とされているとも。

こんな時に音楽どころじゃないだろう、と思いがちだけど。

こんな時こそ、音楽が必要なんだと。


大々的なものもいいけど、こじんまりと、そこにいる人に対して届けるような音楽が、必要とされている気がすると言っていた。


言葉一つ一つが、心に刺さった夜でした。


ありがとう。


今日の一曲
月のカルデラ 進藤久明

あなたはなくでしょう

先週、東京へ行っていました。

メインの目的はレコーディングだったんですけど、他にも果たせていない目的を達するために。

東京住んでると、いつでもできるやって、後回しにし続ける悪い傾向が、一週間の期間限定だと、こまめに動く。

本当はこの人生も、貴重な期間限定のはずなのにね。

その一つが、内田麟太郎さんに会うことでした。

http://www.r-higuchi.com/mssg/mssg.cgi?DATE=201010?MODE=MONTH

立川の喫茶店でお会いしました。

初対面で、恥ずかしいもんで、一生懸命しゃべりました。

それを聞いて、ウチデノコズチ振るみたいに、言葉を掴まえては、色んな話をしていただきました。

この、ウチデノコズチ。ものを生み出す人は必ず持ってる。

内田さんも、楽しい立派なウチデノコズチを持っていらっしゃる1人でした。

失礼ですけど、魂に無邪気な少年を宿していらっしゃる方でした。

それで、ただ単純にお会いしたかったということもあったのですが。

別に目的がありまして。

去年いただいたお手紙の中に同封してあった一遍の詩。

「あなたはなくでしょう」

この詩にメロディーを付けたものを直接渡したかったんです。

詩のテーマは、決して軽いものではありませんで、どうアプローチしていいのかさんざん悩んだ末に出来上がった曲。

まだライブで歌う心構えが出来ていません。

いつかお届けしたいと思っています。

ただただ、悲しいだけの詩には、共感できませんが、内田さんの詩にはどうしようもない悲しみの後に、必ず救いがあるんです。

その「救い」こそが、内田さんが一番伝えたいことなんじゃないかと

そう思うんです。

この「あなたはなくでしょう」では、最後の5行が僕にとっての救いでした。

この5行があれば、メロディーが付けられると思いました。

その5行の光に向かって集約していけばいい、闇の中をすすんでいけばいい、

そう思えました。

読んでないから分けわかんないよね。

手紙以上に、賛否が分かれると思いますが。

僕にとっては新たな、「希望の歌」です。


今日の一曲
ぼくたちは 
パーテルペッカビこうしーん。http://foochan28.at.webry.info/